ブログ/トピックス
ブルース・リー
イップ・マンの弟子であるブルース・リーは、おそらく歴史上最も有名な武術家です。
ブルース・リーは、適応性と流動性を重視した武術であるジークンドーを創設したことで最もよく知られていますが、詠春拳の初期の訓練は彼の哲学と技術に大きな影響を与えました。
動きの節約性や中心線理論などの詠春拳の基本原則は、ジークンドーの多くの側面に見ることができます。
ブルース・リーは、詠春拳の背景をその後の教えに組み込むことで、武術をさらに普及させ、世界中の聴衆に紹介することに貢献しました。
【無心】
達人は説く
「無心」とは、木を見るとき、それぞれの葉ではなく全体の素晴らしさを見るように、一部分を見るのではなく、全体を見ることなのである。
集中してひとつの事にこだわるのではなく、現実に起こっているすべてを静観するということである。
「無心」の状態は、どこにも存在しないから、心のどこにでも現れることができる。
真の武術家は、どんな事に関わっていても、それにこだわらず平静を保つことができる心を持っている。
その思考の流れは、いつでも流れ出せる状態で池に水を入れるようなものだ。
水は自由であるがために限りない力を発揮できる形が無いことから何事にもオープンでありえる。
武術家にとって致命的なのは、精神が停止することといわれる。
敵と命懸けで対峠するとき、心は遭遇する対象に釘付けとなるのが普通である。
日々の暮らしにおける流動的な精神状態が停止し、こだわりや障害のない流れが不可能になる。
ついには自分(思考)をコントロールできなくなり、体が本来の動きをしなくなってしまう。
すなわち、心に何かを持っていると、それに心を奪われて何かをする時間がなくなるが、既にある思いを取り除こうとすると別の何かを再び取り入れることができるようになる。
究極的には、目的を持たぬ状態にならねばならない。
目的を持たないという事は、空白を目的とすることであり、単に何もないということではない。
その本質は、自然形のないもので、目的を入れられるものではない。
そこで何かに執着すると、精神エネルギーはバランスを失い、自然な活動は束縛され、流れることができなくなる。
しかし、流動的な状態、心が空の状態、もしくは単に平常心といわれる、目的を持たない状態の場合、精神はどこにも留まらない。
一方向に傾くこともなく、物事を超越し、環境の変化に空の心で臨み、まったく痕跡を残さない。
格闘技がメンタルタフネスの開発にどのように役立つか
格闘技のトレーニングは、多くの場合、体力、自己防衛、および規律に関連付けられています。しかし、見落とされがちな側面の 1 つは、個人が精神的な強さを発達させるのを助ける能力があることです。
この記事では、詠春拳に焦点を当てた格闘技が精神的な回復力を養い、体だけでなく心も変化させる方法をお伝えいたします。
1. 進歩による自信の構築
格闘技は、実践者が現実的な目標を設定し、それを達成するために努力できるカリキュラムがあります。
詠春拳の生徒は、 Siu Nim Tao、Chum Kiu、Biu Jee の 3 つのフォームの習得を目指すことができます。
これらのフォームを進めたり、新しいテクニックを習得したりすると、達成感と自信が増します。
この自信は精神的な強さに変わり、勇気と決意を持って他の側面での課題に立ち向かうことができます。
2. 規律と集中力を受け入れる
格闘技のトレーニングには、高度な規律と集中力が必要です。
詠春拳の実践者は、チェーン·パンチやチー·サオ等のドリルから正確な動きに集中することを学びます。
練習で技を習得するための規律の順守は、精神的な強さとプレッシャーの中で集中する能力を発達させるのに役立ちます。
これらのスキルを磨くことによって、練習以外のさまざまな状況に適用できるメンタルタフネスの構築ができます。
3.レジリエンスを育てる
格闘技は、実践者を身体的および精神的な課題へと導きます。
詠春拳の練習生は、ドリル中に適切な技とバランスを維持するのに苦労したり、スパーリングセッション中にテクニックを適用するのに苦労したりすることがあります。
トレーニングで障害を克服することで、回復力(レジリエンス)を養い、逆境に対処する方法を学びます。
4. マインドフルネスと感情コントロールの強化
多くの格闘技、特に詠春拳のような伝統的なスタイルでは、マインドフルネスと感情のコントロールの重要性が強調されています。
動く瞑想と表現されるSiu Nim Taoなどの実践を通じて、個人は心を落ち着かせ、感情を調整し、集中力を維持することを学びます。
この高められた自己認識の感覚は、プレッシャーのかかる状況で感情的な安定性と明快さを促進することにより、精神的な強さに貢献します。
詠春拳の最初のフォーム~小念頭
詠春拳の最初の形であるシウ ニム タオ(小念頭)は、正しいスタンス、手の位置、および基本的なテクニックを学ぶための基礎となります。
広東語で「シウ」は小さい、若い、生まれたばかりという意味です。「ニム」は、アイデア、思考、または理由を意味します。「タオ」という言葉は、開始を意味します。
「始まりの小さなアイデア」と訳されています。
Siu Nim Tao は最初のフォームであるため、多くの人はこれが初級者向けであると誤解しています。
詠春拳実践者にとって Siu Nim Tao は生涯を通じて実践されます。
発達の各段階は、新しいレベルの洞察、意味、強調、洗練をもたらします。
それは詠春拳実践者の成長の鏡となります。
自然法則
詠春拳ほど自然法則的な武術は、ないのではなかろうか。
風になびく草木、低きに流れる水のごとき詠春拳の技は、自然そのものだ。
しかし人間には、こころがある。
そのこころが感情や思考という作用を発動するとこれはもう自然法則から完全に逸脱してしまう。
身体は、わかっているが思考がそれを妨げているのである。
意識を変える
こんにちは。
練習後のミーティングでみんなからの質問を聞いていると、私と生徒達の間にある意識の違いが多くあります。
では、意識とは?なにか。
意識とは、あなた独自の思考、記憶、感情、感覚、環境に対する個人の認識です。本質的に、あなたの意識はあなた自身とあなたの周りの世界に対するあなたの認識です. この認識は主観的であり、あなたに固有のものです。あなたが経験していることを言葉で説明できれば、それはあなたの意識の一部です。とあります。
意識の変化は、経験によるものと私は思っています。
これは、私自身の経験によるものなので私自身の真実です。
では他人は、どうなのでしょうか?
私の感覚では、経験値=意識レベルの高さ(詠春拳の練習や認識において)は、どうも比例しないという感じがします。
初級者と上級者の知識が違うのは、当然です。ですが、意識というものに関していうとそのものごとに対する経験値だけではなく、性格や生き方、マインドセットやその他の経験値が関係しているのかもしれません。
絶え間なく変化する思考の流れは、ある瞬間から次の瞬間に劇的に変化する可能性があります。
意識が変化すると、ものの見方(捉え方)が変わります。すると気づきが生まれます。すると、さらに意識が変化し、すべてが繋がり解ってくるのです。
ではまた👋✨
世のならわし
こんにちは。
また、興味深い文章をみつけたのでご紹介いたします。
幸せや世のならわしを真に理解することが我々の目的である場合、我々の目指す世界観とはならない。我々は、分解したり過度に分析したりしてはならない。
ただ、自分自身を経験に大して開き、生の現実がそれぞれの動き、思考、活動、及び瞬間の経験において表現される導管として役立たなくてはならない。
現代の科学によれば、経験の基本的な構造単位は、伝統的な意味での物質ではなく、むしろ確率であり、エネルギーの動的で相互関係のあるパターンとなる。
究極的に見れば、我々の世界は波や粒子で構成されているのではなく、その中間的な何かである。
詠春拳の哲学
こんにちは
今回は、ある詠春拳のマスターが、詠春拳の哲学について語った文章を紹介いたします。
直訳ですので少し日本語として解りにくいところもあると思いますが、少しでも詠春拳についての理解がふかまれば幸いです。
【詠春拳の哲学】
詠春拳の根底にある哲学は、あなたの人生をコントロールし、あなたにぴったりの決断をすることです。詠春拳は格闘技ですが、それだけではありません。
その実践者は、うまくいけば、彼らの人生のほんの一部だけを戦いに費やすでしょう。したがって、戦闘で使用されるのと同じ概念と原則を使用して、あなたの人生の他の非戦闘領域を改善できることが重要です。それぞれの戦闘原理は哲学的に解釈することもできます。
偉大な戦闘能力の発達は、怒りや憎しみとして現れることが多い恐れを克服することによって、私たち一人一人に親切で思いやりのある、愛情深い能力を与えるはずです。
真に有能な戦士は自慢ではありません。
真に安全な人は、自分の体力で他の人を感動させる必要がなく、他の人からの承認の必要もありません。彼または彼女は、優しさのために弱いと考えられることを恐れることなく、理解し、受け入れ、そして親切にすることができます。
哲学の背後にある理由は、あなた方一人一人が私たち全員が持っている内なる力を利用するのを助け、あなた方があなた自身の人生をコントロールし責任を負うのを助けることです。
それは、ポジティブなエネルギーを使用し、ポジティブな性質の目標を達成することが、ネガティブな思考や行動よりもはるかに強力であることを認識するのに役立つように設計されています。
私たちの最悪の敵はしばしば私たち自身です。自分の中を見て、恐怖と不安の素を克服してください。そうすれば、より幸せな人生への道を見つけることができます。
戦いで何人の人を倒しても、他人に危害を加えることに永続的な幸福はありません。有能な戦闘スキルは重要ですが、危険なときに自分自身または愛する人を保護するためにのみ使用する必要があります。
あなたは賢くあなたの戦いを選ばなければなりません。あなたの戦闘スキルは悟りへの触媒となるはずです。あなたが個性と自信の強さを得るのを助けることによって、あなたのスキルはあなたに安心を与え、それによって不安を取り除き、あなたに平和で他の人と調和する能力を与えるはずです。
いかがでしたでしょうか?
詠春拳は、格闘技術ではあるが、それはたんに敵と戦うのではなく、調和する事にある。
その戦闘概念と原則は、そのまま貴方の人生に適応できると語っています。
ではまた👋
エブマス名古屋セミナー
★詠春拳~運動·体力に自信がなくてもできる護身術一日講座★
2022年エブマス名古屋は、皆様に詠春拳を体験し広く理解していただくために一般の方を対象とした護身術講座やワークショップを年に数回開催してまいります。
※第一回講座のご案内です。
【詠春拳~運動·体力に自信がなくてもできる護身術一日講座】
【日時】2022年5月7日(土)13:00~15:00
【場所】リフレクトスタジオ大須若宮大通店dst5
【受講料】5,000円
【講師】エブマス名古屋インストラクター草彅豊
【内容】
·護身術のベースとなる詠春拳の説明と基本技
·力を使わずに掴まれた手をはずす知識
·抱きつかれたら、突き飛ばされたら?
·殴りかかられた時の対処術等
※武術や格闘技やりたいけど…ガンガン殴り合うのは…ちょっと✋😅という方や女性の方に適したセミナーです
※質問等ございましたらお気軽にお問い合わせください
ご参加お待ちしております♪
今年も一年ありがとうございました。
今年も一年沢山の方に詠春拳を体験、見学に来ていただきました。
練習を継続している方、練習を断念された方共にお礼を申し上げ感謝致します。
また来年も沢山の方に詠春拳をとおしてお会いできるようエブマス名古屋は、努力してまいります。
皆様にとって健康で希望にみちたよい年をお迎えなりますように。
今年も一年ありがとうございました。
I really appreciate it.
Ebmas Nagoya Instructor. Yutaka kusanagi
戦わずに勝つ
戦わずに勝つと言えば「孫子の兵法」を思い浮かべる方が多いでしょう。
「100回戦って100回勝ったとしても、それは最善の策ではない。戦わずに敵を屈服させることこそ、最善の策である。」
この教えは、戦をとうして国を発展させる最善の法を説いたものですね。現代では、会社や企業が自社の戦略として用いる事が多いと聞いています。
老子も戦わずに勝つを意味することを言っています。
それが「不争」という考え方です。この言葉を日本語にすると「争わないこと」であり、戦わない人こそが理想的な人間であり徳のある人物という考え方です。
具体的にこの考え方を体現している言葉が「善く敵に勝つ者は与にせず」であり、これは敵に勝つことがうまい人ほど戦わないでも勝てるという意味になります。
日本の武士でこれを体現したのが塚原卜伝の「無手勝流」のエピソードです。
塚原卜伝が諸国を行脚して琵琶湖を渡る船中のこと、容貌魁偉で身の丈の図抜けた武士がのっており、盛んに剣術の自慢話をしていた。 「わしは多年の修行によって、いかなる天下の名人といえども恐るに足らぬだけの腕前となった」と、大言壮語している。
武士は得意顔で、船内を見回して、卜伝を見つけると「おん身も武芸修行者のようだが、どうだ少しは出来るかな」 と、ケンカを売ってきた。ト伝はしらん顔で「それがしも武芸を始め、修行は怠らぬが、御身ほどは参らぬ、ただ多年の修行によって、わずかに得るところは、勝つことを好まずして、負けぬ工夫をいたすことが肝要と思うばかりでござる」と答えた。
「何、負けぬ工夫じゃと、小癪な!、その剣法、流名は何と申すか!」
「されば無手勝流と申す」と卜伝。
「ナニ、無手勝流とな。しからば無手にて人に勝つことが出来ると申すのか」
「申すまでもござらぬ」
「イヤ、いったな、さらばいざ!一勝負つかまつろう。船頭!、早く船を向う岸に着けい」
「イヤ、さほどお急ぎになるならば、あの唐崎の離れ島にて勝負といこう。往来の妨げにもならず、好都合でござろう」
「おお、いいとも」 と、船頭に命じて船を離れ島に着けさせると、その前に武士は、ヒラリと島に飛び上って大刀を真向に振りかざし 「さア、来いッ」 と、勢い込んで身構えた。
卜伝は静かに両刀を船頭に渡し預けたのち、棒を取ってさて、崖に飛び上るのかと思いきや、グイと一突きその棒を突っ張って、船を島からさっと、離れるとともに 「船頭、早く船を漕げ」と、沖の方に漕ぎ出てしまった。
謀られたりと知った武士は、地団太踏んでんで怒り、「卑怯なり、返せ戻せ!」「卑怯者!、許さん」と、大声で絶叫すること久し。
卜伝は扇を開いて静かに仰ぎながらニコリともせず「これが我が無手勝流でござる」 と言ったという。
このエピソードを模したのが「燃えよドラゴン」のこの場面です。
ではまた👋